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昭和59年3月
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神戸市東灘区の甲南病院(現・甲南医療センター)で生まれる
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6歳~12歳
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神戸市立御影北小学校 小2からボーイスカウト活動に積極的に取り組む
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12歳~18歳
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滝川中・高等学校 高2の時、父を事故で亡くす。
部活は陸上部で、高3の県総体(高校駅伝・11月)まで現役で競技
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18歳~23歳
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京都大学工学部物理工学科 数学・物理が得意だったので理科系に進む。
もっとも政治法律の興味がより高く、困っている方を助けたいとの思いから弁護士を目指す
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24歳
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司法浪人をしていた時期、「改憲とか護憲とかを言う前に、そもそも占領憲法(日本国憲法)は本当に憲法として有効なのか?」との疑念を持ち、眞正護憲論(占領憲法はアメリカとの間の講和条約の限度で有効であり、現在でも大日本帝国憲法(明治憲法)が有効であるとする説)を唱える南出喜久治弁護士(京都弁護士会)に私淑するようになる。
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29歳(平成25年)
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旧大阪市立大学法科大学院 卒業 司法試験合格
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31歳(平成27年)
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弁護士登録(東京弁護士会)子宮頸がんワクチンの薬害問題に取り組むようになる
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36歳(令和2年)
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神戸に帰省 高齢になりつつある母が1カ月ほど入院したことを機に地元・神戸に戻ると決意
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37歳(令和3年)
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6月独立開業、7月に国を相手取ってワクチン中止の行政訴訟を提起、10月に第49回衆議院議員総選挙・兵庫1区で「ワクチン中止」を掲げて無所属で立候補し7,174票を獲得。
11月に眞正護憲論を掲げる唯一の真正保守政党「祖国再生同盟」を結成し、代表に就任。
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38歳(令和4年)
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7月参議院議員通常選挙・兵庫選挙区から「ワクチン被害者の救済」「食料・エネルギー自給率100%」「占領憲法の効力論争」などを掲げて無所属で立候補し、25,113票を獲得。
翌年1月に地域政党「兵庫むすびの党」を結成し、代表に就任
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39歳(令和5年)
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4月の神戸市会議員選挙・東灘区選挙区から「神戸空港の活性化(空港の発着枠制限撤廃)」を掲げて無所属で立候補し、4,386票を獲得(共産党候補に166票差での次点)。